教育現場では生徒の教師へ対する敬意が必要です

適切な教育を行うためには、教育現場において生徒をどのように扱うかという問題は、いつの時代も変わらず難しいものです。一昔前であれば、教室でも部活動でも愛情のある体罰は許されていました。生徒自身もそれなりに納得していましたし、親自体も体罰について学校に苦情を入れることが全くなかったからです。ましてや、学校は生徒や親の立場からも教育現場であり、教師に対するリスペクトが存在し、信用が存在したからにほかなりません。

しかし、時代は大きく変化しました。いい意味で生徒の個性を尊重するあまり、教師が生徒を注意すること自体も難しくなっています。当然体罰となると論外です。いかに筋の通った話であっても、行為自体を捉えられて教師は一瞬にして厳しい立場に追い込まれることになるわけです。

生徒のパーソナリティを教育の現場で大事にするという方針自体は日本の過去の誤った教育方針を正す意味においては間違いなく賛成されるべきことです。当たり前ですが、そこに異論がある方は少ないでしょう。

しかしながら、学校の教育現場では校則といった社会に出る前の、ルールを守るという一種の事前学習があるとはいえ、校則より趣味嗜好、個性を大事にして違反するということが通用しますし、教師側もそこに対しての大きな発言力もなくなっていることは確かです。時代は変わっても教育の現場の主役はいつも生徒であるのは変わりません。

そして、個性を大事にしながら教育を進めるということも今後のグローバル社会において異論はありません。

しかし、この個性とルールを守る、しかも自由をはき違えるといった生徒の考え方、実行については教育現場でやむなく必要最低限の体罰を伴うことも出てくる場合もあるかもしれません。ここで問題は必要以上に家庭が介入することなのです。家庭が介入してしまうと自分のお子さんはもちろん、教師にとっても困惑してしまいます。原点に立ち戻り、教育現場を、そして教師をリスペクトし信用して、生徒を、自分の子供を委ねる気持ちを大事にしてもらいたいと思います。ここであまり親が出てきてしまうと子どもは自分の意見を言えない子になってしまう傾向があります。子どもを心配する気持ちは分かりますが、先生はもちろん子どものことを信じてあげなければなりません。親が子離れできていないと、将来親元から離れるときに困るでしょう。そのようにならないためにも今が大事なのです。

 

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